『 か・げ・ふ・み 』~ 韻を踏んづけちゃったら ぺっしゃんこ。

「陰文」(かげふみ)。 韻を踏んづけちゃったお手紙です。

『 わ・た・し 』



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この 世界は 大きな 大きな ひとつの世界です。

たくさん の 輪に関わり

たくさん の 他と交わり

たくさん を 知ることで

わ・た・し が できていると思います。

この記事で伝える『わたし』は 著者をふくめ

『自分』ということです。

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ひと は 一人では生きていけません。

でも

この世界では 色々な考え方や見方を

各人 持っていて

統一されているわけでは決してありません。

多様な考えや見方を知り、協力しながら

この世界は回っています。

世界=社会と言ってもいいですね。

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繋がりというものは 共存 するために

豊かさをもたらしてくれるものであります。

でも

この繋がりというものが 時には

縛りや疲労の原因になることも否めません。

ひとたび 社会にでれば 社会人として

多様な価値観のある輪の中で

社会人としてのモラルを問われています。

正解なんて ひと それぞれなのに…ね。


会社では給与や賞与の査定にさらされたり

SNSでは イイね の数を気にしたり 等々

世間体を気にする機会が 日常には

たくさんあります。


私たちは世代や生まれた環境により

考え方等が違う中で

常に評価を気に止めながら

生活を営んでいるようにも

時々思えてしまいます。


それでも、その中から愛や協力の必要性を

見いだそうと ひと は動いてしまうのかも

しれませんね。


こうした関係の中で生じる

気にする思いは全くの関わりの無い

他人からはたぶん起きないでしょう。


家族や会社 友人 知人 恋人など 簡単に関係を

解消出来ない関係だからこそ生じるのでは

ないでしょうか。
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たくさん の 輪に入り

たくさん の 他を知り

たくさん の 師に学び

「わ・た・し」ができている。

でも、たくさんの「わ・た・し」が存在する

わけではないから 「わ・た・し」は あくまで

独りだけだから。

時々 自分を慰め、自分を労り

「わ・た・し」を 思い出してほしい。

たしかに

ひと は 一人では生きていけない。

この世界は大きなひとつかもしれない。

でも

ひとりひとりの見ている世界は

ひとりひとりが世界の中心であって

それが幾重にも重なって

この世界はできているものだから 。

誰かの子として生まれても

誰かの子というものじゃない。

ひと は 独りの 個 であるということも

忘れては

生けない。


作り笑い や 順調に進めることに必死になり、

なかなか

本心で ひと と関わりづらい世の中だから、

ついつい「わ・た・し」を

忘れてしまいやすい 世の中だから 、

少しでも「わ・た・し」

を思い出せる空間や環境を見つけて

生きたいですね。



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