『 か・げ・ふ・み 』~ 韻を踏んづけちゃったら ぺっしゃんこ。

「陰文」(かげふみ)。 韻を踏んづけちゃったお手紙です。

「さよなら」 の 語

「さよなら」 は 日本の 別れの 際に

使われる言葉です。

英語の「グッドラック」 や

中国語の 「再見 」の ように 「またね」というような

次があるような言葉ではありません。

日本語の 「さよなら 」の意味は

ここまで、『左様か』という言葉が

変化して「さよなら」へ となりました。

全て出しきった。それを了解したと

受け止めたことをいう決意です。

「口にしていいのは一生に、一人に、対して一度だけ。」とはよく言ったもので

昔から ことわざ や 言葉の綾取りに使われて

たりもするんですが、

引き受けた。引受権。継承も また、「さよなら」に

含まれると思います。

年の瀬、新年、コロナ等から、

それを昨今の風の流れは断捨離として

手離せ、手離さなければと

その風流をとても強く感じさせられ、

一種の煽りにも似ていて

特に近年、2020~2021は

その煽り方、疎外の仕様、仕方に、

人の厳しさ、冷たさ、怖さ

を強く 強く 感じてしまわずには いられないように感じた方も多く、 いらっしゃったのではないでしょうか。

2020~2021は実際に意識、無意識的に限らず

簡単に

さよなら は、言葉としても

行動としても使われきています。

それを本当に 望みとするしか いか仕方ない

そういう事情からなら 「左様か」→さよなら としていくのは

いいと思います。

ただ、状況や情勢により

ストレスを感じて全てを投げ出すしか無い と感じてしまう(逃げとは違う)

ほどに 追い詰め続けるのも昨今の人間社会たち。

そして

私も貴方もその 人間 という生き物です。

「さよなら」という言葉は本来

決死、苦渋の覚悟を 受け止めた証の言葉。

ゆえに、

簡単に、意味もわかってないのに、 日常で人が「さよなら」を 安易に使わせない

世の中であってほしいと願いをこめて 書かせて頂きました。

2022も厳しさはますます盛んになるのは

当たり前です。

理由は、去年、今年を 引き継ぐから 当然、

「見る目」や「比較」に 対して、

より 厳しい気持ちを

誰もが持っていくからです。

苦しかった人、厳しい思いをした人は、

思いやりを持っている…

残念ながら、より厳しい目を持っていく、

が、正となってしまう時流ですから…

本当はそんな時流(政治や世界など)の

時勢(勢いや力、反発力など)にこそ

さよならを願いたいですけど…

…簡単に使わせないでほしい…。 こころから。