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たぶん
不遇な気持ち
不運な気持ちが募ると
今 そこにいる 自分が
とても 空っぽな もの に感じてしまい
自分なんて必要なんて 無いんじゃないかって
思えてしまうんだ…
このお話は近所の 竹林にて
空っぽの自分が必要ない ように
思えて 黄昏ていた時に
「そうじゃないよ」って
竹が そっと 教えてくれた
尊る 気持ちから 記事にしました 。
ただ 自分が知らない 又は 気付かないだけで
自分と関係無いものはこの世界には
ひとつとして無くて
食べ物も 飲み物は もちろん
関わった 関わってるものは もちろん
見知らぬ街や 見知らぬもの 見知らぬ生き物
そして 見知らぬひと も
全てが 自分と関係していて
今の自分となっているのだから
そういったものを知らず知らずに取り込んで
今の自分が出来ているんだ
取り込んで今の自分となったものの中には
自分が愛したもの 愛したものの愛するもの
会ったこと無いけど愛を育んできたもの
愛を育んで生きたかったもの
そんな たくさんの 愛 を取り込んで
今の自分はそこにいるんだ
なら
逆もまたしかりで
今の自分を愛せないでいるということは
それら全てを消したいということ
になってしまうじゃないかと …
自分自身の身の丈は
世間一般の定義や
功績なんかで
構成されているものなんかじゃない
自分自身の身の丈に
どれだけ の 愛が詰まっているか
どれだけ の 愛に気付いているか
それを知ったなら
自信を無くして
自身を泣く
そんな事を
自身の中にある 愛 たち は望んでいないんだ
自身の中にある 愛 たち とともに
自身を 自信を 大切にしていって欲しいと
望んでいるんだ
尊る 想いで 竹のように真っ直ぐ と
今、 生きていることを 見てみると
愛するもの
愛するものの愛するもの
は もちろん
知らない愛
まだ見ぬ愛
関わりは無いけど
そこにも 愛がある
と気付くこと
そうやって
築かれている 愛 の 世界 に
自分は 今 いるんだ と いうことが
少しわかった 気がした
そんなたくさんの愛が詰まって
今 この世界にいられることを知ったなら
自身の丈に「ありがとう」の気持ちが
竹のように生えて尊る気持ちでいっぱいに
なったんだ 。
だから、
この世界で
何より 大切な
貴方 自身が いてくれる ことに
心から 「ありがとう」を
感じさせてくださいね
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