『 か・げ・ふ・み 』~ 韻を踏んづけちゃったら ぺっしゃんこ。

「陰文」(かげふみ)。 韻を踏んづけちゃったお手紙です。

『竹のように真っ直ぐと尊る』


.
.
.

f:id:mylittlesadalusuudo:20210409004454j:plain

f:id:mylittlesadalusuudo:20210411132319j:plain

たぶん

不遇な気持ち

不運な気持ちが募ると

今 そこにいる 自分が

とても 空っぽな もの に感じてしまい

自分なんて必要なんて 無いんじゃないかって

思えてしまうんだ…




このお話は近所の 竹林にて

空っぽの自分が必要ない ように

思えて 黄昏ていた時に

「そうじゃないよ」って

竹が そっと 教えてくれた

尊る 気持ちから 記事にしました 。






ただ 自分が知らない 又は 気付かないだけで

自分と関係無いものはこの世界には

ひとつとして無くて

食べ物も 飲み物は もちろん

関わった 関わってるものは もちろん

見知らぬ街や 見知らぬもの 見知らぬ生き物

そして 見知らぬひと も

全てが 自分と関係していて

今の自分となっているのだから

そういったものを知らず知らずに取り込んで

今の自分が出来ているんだ


取り込んで今の自分となったものの中には

自分が愛したもの 愛したものの愛するもの

会ったこと無いけど愛を育んできたもの

愛を育んで生きたかったもの

そんな たくさんの 愛 を取り込んで

今の自分はそこにいるんだ


なら


逆もまたしかりで


今の自分を愛せないでいるということは

それら全てを消したいということ

になってしまうじゃないかと …





自分自身の身の丈は

世間一般の定義や

功績なんかで

構成されているものなんかじゃない


自分自身の身の丈に

どれだけ の 愛が詰まっているか

どれだけ の 愛に気付いているか


それを知ったなら


自信を無くして

自身を泣く

そんな事を

自身の中にある 愛 たち は望んでいないんだ


自身の中にある 愛 たち とともに

自身を 自信を 大切にしていって欲しいと

望んでいるんだ


尊る 想いで 竹のように真っ直ぐ と

今、 生きていることを 見てみると


愛するもの

愛するものの愛するもの

は もちろん

知らない愛

まだ見ぬ愛

関わりは無いけど

そこにも 愛がある

と気付くこと

そうやって

築かれている 愛 の 世界 に


自分は 今 いるんだ と いうことが

少しわかった 気がした




そんなたくさんの愛が詰まって

今 この世界にいられることを知ったなら

自身の丈に「ありがとう」の気持ちが

竹のように生えて尊る気持ちでいっぱいに

なったんだ 。


だから、


この世界で


何より 大切な


貴方 自身が いてくれる ことに

心から 「ありがとう」を


感じさせてくださいね


.
.
.


f:id:mylittlesadalusuudo:20210429150106j:plain


f:id:mylittlesadalusuudo:20210429150142j:plain